沖縄の本部高校時代から宮里優作らの父である優さんに師事。『全国高校選手権春季大会』優勝などの成績を収め、ナショナルチームにも入った。東北福祉大学時代は16年『日本オープン』ローアマのほか『ユニバーシアード』では15年に団体個人とも金メダル、17年は団体金、個人銀など海外でも活躍した。 17年にプロ転向したがQTはサードで失格。戦いの場を求めてアジアンツアーに挑み、18、19年と下部ツアーで優勝した。国内では19年『KBCオーガスタ』で初優勝。20-21年シーズンでも1勝すると22年は『日本ゴルフツアー選手権』最終ホールのバーディで初の日本タイトルをつかみ取るなど計4勝。身長158cm、歴代で最も小柄な賞金王が誕生した。 23年は欧州ツアーに参戦したが4位が最高成績でシードには届かなかった。国内に主戦場を戻した24年は3位が2回。シーズン終盤はアジアに出向き『香港オープン』で3位に入った。
比嘉 一貴
海外サポート選手
プロゴルファー